新年度が始まるこの時期は、来年度の新卒予定者にとっての就職活動の時期でもあるようだ。昨今は売り手市場のようで、就職する側には悪い状況ではないらしい。
今ではこんな商売を生業としているが、一応は僕も十数年前の新卒予定者として就職活動を経験した。自己分析だとか、長所と短所だとか、しかも短所も長所として印象づけられるようにだとか、当時流行ったマニュアルをよんで一夜漬けのような面接対策をした覚えがある。そんなわけだから当然初めに鼻をへし折られる経験をするのだが、続いて面接にいった会社で採用担当が僕と同じ大学の同じ学部出身ということで(こういった縁故採用のバリエーションは今も昔も採用担当の負担を減らしてきたのだろう)あっけなく内定をもらった。結局その学年で卒業できず、そこに就職はしていない。(結果採用担当は楽をしようとして後で面倒なことになった。)就職していたら今はどうなっていたんだろうと今でもその頃のことを考えることがある。
ある大企業の子会社の役員で、採用活動に携わっているという常連のお客様と話した時のこと。
「面接に来る若者が皆同じ顔に見えるんですよ。」
「はぁ、そうですか」と今の若者は個性がないというお説教かなぁと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
このお客様の年齢は50代後半だが、面接に来る若者が皆素直で礼儀正しく、よい子に見えると。それだけに同じだと。
確かに40代になった僕にも思い当たる節はある。
AKBのメンバーの区別はほとんどつかないし、テレビに出ている若い男はみんな同じテンションで、みんなジャニーズに見える。反対に、僕が若い頃は同じ顔に見えていた50代以上のおじさまおばさまたちの顔に個性を、いやそれ以上に、その顔に生きざまのようなものさえ見ることができるようになりつつある自分に気づく。
どうやら「違いがわかる」ということは、その対象との心理的な距離感に依存するようだ。
このことをお酒の味について当てはめてみたい。
「辛口ください」とか、最近では「フルーティーなのを」と言われることがよくある。こう聞くと僕はいつも「辛口なら何でもいい」「フルーティーならなんでもいい」と言われているように思えてくる。
あるいは、「熱くすれば一緒だから燗酒は一番安いやつで」というのもよく聞く。重要なのは温度で味ではないと。
前者にとって世の中にあるお酒の種類は2種類しかなく、後者はなんと違いは全く無いようだ。
ここで僕は声を荒げて「そういうものじゃないんだ!」と言うべきか。
言うべきかもしれないし、そうじゃない気もする。
世の中にはAKBやジャニーズ、あるいは宝塚、車、パソコン、アニメなどあらゆるものについての専門家・マニアがいて、彼らは素人にはわからない魅力、わずかな違いを享受している。対象に近いところにいる彼らの会話は、自然、専門家にしか理解できないような高度(?)なものとなる。
だからといってAKBもジャニーズもパソコンもアニメも彼らマニアだけのものであるかというとそうではない。
マニアにとってほどではないにしろ、素人も素人なりにその対象を楽しんでいる。違いがわからないなりに。
日本酒ブームと言われ、日本酒を扱う酒屋も飲食店も増えた。日本酒を特集する雑誌も頻繁に出版されている。
そうした中で人々の日本酒に対する距離感は様々。
だからこそマニアの視点だけで日本酒を売ることはできないし、そうすべきではないはず。
純米酒の燗酒について言えば、燗酒は一部の味がわかる(と自称する)マニアのものという偏見をこそぬぐい去らなければならないだろう。
そうはわかっているものの、おいしいお酒を飲んでもらいたいと少しでも思っている飲食店にとって、「辛口ください」という言葉はいささか食傷気味であることも確か。