魔法の杖

寝込みを襲う「見て見て攻撃」。

子供を持つ親にとって誰でも心当たりがあると思う。


「こんなことできるんだよ」

「わぁ、すごいね。」

と、親に認められて得意気な子供の顔を見るのは悪いものではない。


しかし、「見て見て攻撃」は親の都合に関係なく毎日執拗に繰り返される。

これをうまくかわさないと過度にイライラしたり、「うるさい!」と言ってしまって後悔するなんてこともある


ある朝、娘が幼稚園で作ったという「魔法の杖」なるものを寝ている僕のところに見せに来る。

「見て見て、こんなの作れるんだよ。すごいでしょ」

「うん、すごいね」

「魔法の杖だもの、魔法をかけられるんだよ」


翌朝、お兄ちゃんに「魔法の杖」を壊されたと言って泣きながら僕のところに来る。みると「杖」の先端が少し折れ曲がっている。

「よしよし、大丈夫だよ。パパが魔法でなおしてあげるから」

「魔法なんてあるわけないでしょ」


なるほど、子供は「魔法の杖」を作り上げただけでは満足は半分でしかなく、それを親しい人間に見せて誉めてもらうことでようやく満足が完成される・・・あれ、これって大人も同じじゃないか?


僕は前回「ブログを見てもらって報われた」なんて書いてしまったけれど、どうやら(僕を含めた)大人も「見て見て」に毒されてしまっているようだ。


「(写真とともに)2時間並んで食べたラーメン完食。3時間並んでも食べる価値あり!」

「いいね」


「1才と3ヶ月、娘が「パパ」「ママ」としゃべりだしました。しゃべるのが早いとみんな言ってくれます。うちの子は天才か?」

「いいね」


「今日は彼氏とラブラブモードでディズニー!遅くなったら初お泊まりしちゃうかも」

「いいね」

(↑顔文字が使えればもっとリアルかな)


もはや子供のそれよりも苦々しく痛々しい「見て見て」に僕らは大人として「いいね」ボタンで承認を与えなければならない。それで相手の機嫌がよくなるなら、波風立たないようにできるならと、今日も「いいね」を何回押すのか?


僕のブログについて:これからも自己満足の自己主張は続けさせていただきますが、「見て見て」とは言わないように気を付けますので、どうかひとつ「ひまつぶし」としてお付き合いくださいませ。