素直な頑固さ


島根の天穏に注目している。

「天穏」の酒造りを率いるのは30代前半という若さの小島杜氏。

前杜氏の岡田氏からバトンを受けたのが昨年の酒造年度27BYのこと。周囲の心配やプレッシャーをよそに小島杜氏はその最初の造りから、代々の杜氏から受け継いだ「天穏」らしい吟醸造りを自家薬籠中のものとし、その伝統をさらに前進させるという離れわざをやってのけた。

そして2年目の28BYは新酒から素晴らしいお酒を出している。


「天穏」の吟醸造りにのぞむ姿勢を、彼は正確な言葉で表現する。


「本来の吟醸造りは原料処理から蒸し、麹、もと、醪と細かいところから組み立てていかないと造れないもので、効率や利益やエゴを通してはできないとても清らかな酒造りです。」


吟醸造りの本来あるべき姿をしっかりと見据えた「伝統に対する敬意」、

確かな知識・技術力をもとに組み立てられた「緻密さ」、

そして効率や利益におもねらない「職人技」、

さらに自らのエゴにも正面から向きあう「強さ」といった、彼の言葉から感じられるものが「天穏」の味わいにそのまま当てはまる。


僕は、彼の醸す「天穏」の味わいと、彼の酒造家としての言葉との両方から「素直な頑固さ」のようなものを感じる。個人的にお会いしたことはないのだが、この「素直で頑固」なところこそ小島杜氏の持ち味ではないかと想像できる。


「素直さ」ゆえに、先人から受け継がれた知識・技術がなんの抵抗も変形も経ることなく彼の中へ収まっていく。

その蓄積をもとにした造りに、彼の「頑固」さが一本の筋を通す。ただ伝統に従うだけではない、彼の酒造家としての軸が「天穏」の伝統を前へと進ませる。


昨今の若い造り手が持つ「常に更新される知識・技術」や「センスのよさ・バランス感覚」や「マーケティングマインド」、あるいは「IT化・システム化」といった武器が、どちらかと言えば伝統の否定から生まれたものであることを考えれば、天穏の独自性は今後さらに際立っていくと言っていい。


我々が求めているものはただ新しいだけのものではなく、ただ伝統にコロウしたものでもないはず。

小島杜氏の「素直な頑固さ」は物づくりに従事するすべての人とって忘れてはいけないマインドだ。