日本酒は「クールジャパン」を越えて(1)

これは不老泉取扱店として名高い練馬春日町の「ほんしゅ堂」の熊田氏から聞いた話だが、本年度の不老泉の造りには、名門W大学を去年卒業したばかりの蔵人がいるらしい。しかも採用とはならなかったものの、面接には最高学府T大学を出たばかりの人間も来たらしい。


確かに東大出身の蔵元や名門大学出の杜氏、またはオックスフォード出のハーパー杜氏など、お笑いの世界同様酒造界にも高学歴の人材が多数存在する。いまのところ聞いたことはないが、海外の大学でMBAの学位を取得した蔵元や杜氏があらわれるのも遠い話ではないだろう(いや、もしかしたら既にいるんではないか)。


もはや日本酒は日常の晩酌用のコモディティとして、あるいは年に1度購入するだけの贈答品として単純に消費されるものではない。蔵の経営者は、愛飲家の嗜好が形成する複雑な市場を相手に商品を開発し、価格と生産量を調整し、マーケットに受け入れられる努力をしていかなければならない。高等教育を受けた人材がこの業界に必要とされるというのも納得のいくことだし、必然の流れだろう。


こうした「マーケティング感覚」を反映させようという流れを証明しているのは、最近のお酒の価格設定である。一升瓶でいえば純米なら二千五百円から三千円、純米吟醸は三千円から四千円といった業界標準価格のようなものが存在するが、近頃はそうした標準から外れた価格を設定するお酒をよく見かけるようになった。そうしたお酒は4合瓶で五千円といった価格設定だとしても、そのお酒自体が美味しいという理由だけでなく、経営者の仕掛ける動機付けの巧みさも相まって飛ぶように売れている。原価積み上げや業界の標準を価格設定の根拠にしている企業を横目に、そうした価格戦略で成功している企業が他の業界同様酒造業界にも見られるわけだ。(そうした流れは海外で顕著。「いいものにはいくらでも出す」中国人をみよ!)


逆に言えば、こうした価格戦略を許容するまでに日本酒の質が高まってきたと言っていいだろう。


こうも言えるかもしれない。日本酒の魅力に惹かれて集まってきた優秀な人材が(あるいは家を継ぐ決心をした若い世代の蔵元が)業界に変化をもたらしつつあると。


だけど僕は、彼らが将来性や得られる収入を見込んで日本酒業界に飛び込んできたとは思わない。

(つづく)