壁は沈黙しているが、扉は語っている
「橋と扉」ゲオルク・ジンメル
東京の純米燗文化発信地として名高い練馬・武蔵関の「大塚酒店」のはからいで、島根の「玉櫻酒造」杜氏・櫻尾尚平氏がお店に来てくれた。
櫻尾氏の印象を述べれば、ひと目見た感じは押し出しのよい好青年(「尚平くん」と言いたくなるような爽やかさがある)、そして酒造りにたいする考えを聞いていくとその情熱と責任感はやはり本物。酒を愛し、酒造りの過程を楽しむことは、(他の「モノ造り」の現場同様)良い酒を造ることの必須条件であると思うが、櫻尾氏はその条件を十二分に備えていると感じさせる。このひたむきな姿勢がある限り、造り出されるお酒は今後さらに力強さと深みを増していくに違いない。
「食事と合わせてはじめて酒が生きてくる、そういう燗酒の旨さを追求したい」という彼の考えを聞くまでもなく、玉櫻はまさにそういったお酒だ。私もこういった考えを共有する者として玉櫻を愛飲し、お客様におすすめしてきた。
だが玉櫻のその持ち味ゆえ、軽くフルーティーなお酒とは対極の味わいゆえに、冷酒に親しんでこられたお客様には美味しさが理解されるどころか、苦手なタイプと分類されてしまうことがある。
巷間で流行る冷酒と、食中酒たる玉櫻の燗酒、その間にある断絶になんとか連続性をもたせよう、繋がりをつくろうというのが櫻尾氏の現在の課題となっているようだ。その橋渡しを意識して造ったというのが、今回の訪問に先だってサンプルを送っていただいた玉櫻の新商品「魁(さきがけ)」というお酒だ。
たしかに昨今冷酒は冷酒としての、燗酒は燗酒としての文化とファンを持ち、それぞれが広がりを持つことで、日本酒が多くのひとに受け入れられるようになってきた。それぞれの文化を往き来する愛飲家は少なくないのだが、この蔵のお酒は冷酒、あの蔵のお酒は燗向け、という具合に「使い分け」されており、冷酒と燗酒の間に愛飲家によって境界がもうけられているのが実状だと言えるのではないだろうか。
実際この形而上の「壁」を境にしてマーケットが形成され、酒蔵はおのおのが持つ経営資源に鑑みながら、それぞれのマーケットに受け入れられるお酒を造ってきたわけだ(もちろんそれぞれのマーケットの中でもどんどん細分化されている)。つまりお酒を売る側、造る側も境界線にもうけられた壁を厚く高くするのに一役買っていると言える。
もちろんこの境界線上にポジショニングするお酒もあるし、そういったお酒は少なくない。いわゆる「冷やでも燗でも」といった守備範囲の広いお酒だ。当店のような燗酒を売りにしている店では、このような万能なお酒はアーモンドglicoなわけで(つまり一粒で二度美味しい)大変使い勝手が良いのだが、「万能」にとどまり、その先にある燗酒文化の広がりに目を向けさせるだけの牽引力に欠けるきらいがある。
玉櫻の新商品「魁」に私が期待するのは、冷酒と燗酒を分断する壁に備え付けられた「扉」となること。冷酒側に入り口があって燗酒側が出口であり、その逆ではない。境界を往き来する万能なお酒ではなく、燗酒の広く豊かな世界を期待させるべく冷酒側から燗酒側に開かれた扉。
まずはこの蔵の濁り酒「とろとろにごり」で夏の乾いた喉を潤し、刺身や冷菜を少し冷やした「魁」を飲みながらつまむ。そして本命の玉櫻「生もと」お燗。食事と合わせれば杯はすすみ、一合では済まないだろう。さらに玉櫻には櫻尾氏が食事の終盤に飲んでほしいと言う低アルコールの「殿(しんがり)」というお酒がある。玉櫻らしい深みに優しさがともなう味わいで、締めのつもりでもついおかわりしてしまう。
このように櫻尾氏の手玉に取られたい方はぜひ当店まで。
「魁」「殿」は7月以降入荷予定。
「生もと」「とろとろにごり」ほぼ常時あります。