新しい感性

昨日は突然の臨時休業、実は体調不良でお休みをいただきました。

正月休みでの不規則な生活がたたったようでして、いらしていただいたお客様には大変ご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ございませんでした。

 

先ほど「不規則な生活」と言ったとおり、どこかに行ったり何か実になることをした正月ではなかったわけで、休みの間ほとんどの時間を家で家族とすごしていました。

 

「家族とすごした」と言ってもそこはやはり現代の家族、妻がテレビを見ている横で息子と娘がゲームをし、僕は本を読んだりと、同じ部屋ですることは各人各様。

それでも大晦日の、カウントダウン前の数時間だけは、みんなでテレビに向かって年末の番組をザッピングするというのが恒例となっている家庭は多いのではないでしょうか。今回のブログはそんな年末のすごし方をして思ったこと。

 

その年の世相をうつし出すテーマ(ここ数年は元気とか希望だろうか)、あらゆる年代を納得させる(させようとする)出演者たち、飽きさせないと言うほどではないがまぁほどよく視聴者におもねる演出、ほとんどどうでもよい紅と白の勝敗の行方(番組の最後になって勝負していたのかと気付かされ、紅白それぞれの司会者の嬉しがり(悔しがり)方がなんとももどかしい)...何のことを言っているのかといえばもちろん、年末の風物詩「紅白歌合戦」のことである。

 

若い頃に聞いていた歌手・グループの現在の姿を見られることはなかなか楽しいことだし(歌唱力が衰えていたとしても)、知っている曲を聴いて懐古的な気分になれるのもいい。また、年齢が中年に差し掛かかったせいか、演歌の風情や演歌歌手の歌唱力になんとなく魅力を感じるようにもなってきた。

そうすると残るは今流行っている若い人の歌である。ほとんど聞いたことのない未知の歌手・グループの歌を楽しめるかどうか。

 

十数年ぶりにほぼ通しで見た紅白は、僕にとって大半が「若い人の歌」になっていた。あと数年すればその「大半」の割合はさらに増えるということだろう。

その「大半」を「若い人(にとって)の音楽」とかたずけて理解することを避けるなら、世の中の感性を理解しようとしないのと同じではないだろうか。

そしてこれがまさに老いとともに「頭が固い」人間になっていくメカニズムではないだろうか。

 

今回出演の若い人の中でもサチモスや米津玄師などは、こういうのを聞かないと世の中の感性から置いていかれるな、確実に耳が衰えていくなと感じさせるものがあったし、この人達のライブを見てみたいと強く思った。

 

思えば年齢的に、新しいもの・流行っているものにごく自然に触れていられる年齢ではなくなったわけだ。

放っておけばつい慣れ親しんだものに向かってしまう自分に鞭を打ち、ある程度の努力をして新しいものに触れていかなければならない。

たとえ新しいものに良いものがある確率が少ないとしても。

いやだからこそ新しいものに数多く触れる必要があるのだろう。

 

年頭のブログにふさわしいことを言えば、今年の目標は「新しいものに触れて自分の感性をどんどん更新していく」ということになるだろうか。

そうそう、「今年はしっかり体調管理」ということも加えておきたい。