こんにちは、膳(かしわ)屋店主です。
「5月31日まで休業します」と書いた紙を店頭に張ってから20日ほど経ちました。
そしてもう20日ほど緊急時態宣言が延びたので、「6月20日まで休業します」と書いた紙に張り替えなくてはならないわけで、その作業に出向く前にこれを書いています。
私の生活はといえば、家にいるので家事(掃除・洗濯・料理)をし、本を読んだりテレビを見たり、ずっと家にいるのは不健康なので外に出て1万歩、あるいは10キロを目標に歩いたり走ったり、まぁ家族との時間もあったり、取引している酒屋をのぞいてみたり……と、まるで締りのない、ゆるみまくりの自堕落なステイホーム生活をしています。
「今自分にできることはないだろうか?」
「こういうピンチの時こそチャンスなんじゃないのか?」
一応、こういったことを考えなかったわけではありません。だけど考えないようにしました。考えないようにすること(よく眠れること)を目標に日中の時間を埋める努力をする毎日なんです。
休業し始めて4-5日もすると、現実から遠ざかっていくような、世間から取り残されていくような感覚を覚えました。まるで病気で入院しているときの心境-焦ってもしょうがないんだけど焦ってしまう-です。
だから何をするかといえば、世間を知るためにテレビのニュース(ワイドショー含む)を見、インターネットをするわけですが、そこでは酒類の提供自粛を迫られた飲食店の姿を結構話題にしているんです。灯りのともらない夜の街とか、若い客でごった返す要請無視の居酒屋だとか。テイクアウトやデリバリーに注力する店だとか、ノンアルコールカクテルを始めた和食店だとか。
そうしたメディアが持ち上げる飲食店の「時代に適応しようとする不断の努力」を見せられると、正直いってもっと焦るわけです。
だけど同時に「そもそも『時代に適応しようとする不断の努力』など自分はしてきたのだろうか」と、反省もするわけです。数年前、焼き鳥にもうどんにも飽き挫折し、自分の本当に好きな日本酒の店にしようと決意するに際し「四十代になったこれからは自分のあり方を自分で決めよう」と思ったはずではなかったのかと。
一方で、「好きな日本酒を出して、その日本酒に合う料理を」という考えはその頃から変わらないけど、お客さんとの関係性の中で現在のような形態の店になったのだから、「自分が何をやっているか」はお客さんが教えてくれたと言えるのではないでしょうか。
もっと言えば私にとってのゆるぎないものはお客さんとのやり取りの中で創られるということだろうと思います。そういうやり方でしか自分のゆるぎなさを確立できない…困ったものです。「小さな妥協」や「仮の姿を演じる」ことがもっと自由にできたなら、と思います。
さて休業中「ある場所」を少々修繕しました。どう修繕したかを楽しみに来ていただければと思います。