意識変容

2ヶ月もの自粛期間を経ての営業再開である。

この1ヶ月で会うことができたお客様の変わらぬ姿にささやかな感動をしているわけだが、一方で経営者の意識の上で変わったことがある。

 

その1 音楽

自粛の間自宅で家事をしていたのだが、不慣れな掃除や洗濯は私にとってストレスフルな作業であった。だがある時ふと気づき、音楽をかけながら作業するようになってからはあまり苦痛な作業ではなくなった。片やそれらの義務から解放されたのちに読書を始めるのだが、音楽が流れていると気になって本に集中できないので読書中は常に無音の状態である。

そんな体験からある仮説を引き出してみた。あまり得意でない課題に取り組んだり、早く時間が過ぎてほしいと思うような機械的な作業をする際に、音楽は作業のストレスを軽減してくれるのではないだろうか。対して得意な課題だったり、楽しくて夢中で何かをする場合、音楽はほとんど耳に入ってこない。さらに言えば楽しみの中でも没入するために集中力を要する場合、音楽が無いほうがその楽しみに没入しやすいのではないだろうか。

美味しい料理、美味い酒、気のおけない人との会話...こういったものを楽しむのに音楽はいらないんじゃないかなと考え、音楽を流すことをやめた。もちろん料理を作って酒を選んで雰囲気を仕立てる役を担わされている自分への大きなプレッシャーになることを承知の上で。(一応言っておきますが、音楽自体を否定する気は全くありません。むしろプライベートで前よりたくさん聴くようになっている。こんなにタダで聴けていいんだろうかと思いながら。)

特に無音がふさわしい雰囲気を作るという点は、参考になることも少なく手探りでやっていくしかないのだが。

 

その2 ウーバーにできないこと

そこで無音の雰囲気作りの参考にならないかと、いや多分全くならないだろうと思いながらも、ジョン・ケージの『4分33秒』をYouTubeで見た。そう、演奏者も聴衆も何もしないで4分33秒を過ぎるのを待つというアレである。

拍手で迎えられた指揮者が舞台中央、フルオーケストラの前に置かれた指揮台の上に立って一礼した後ストップウォッチで4分33秒測る。そして4分33秒後、演奏が終了した合図とばかりに指揮者がオーケストラを立たせて、共に聴衆に向かって礼をすると、再び聴衆からの拍手、しかも万雷の拍手である。

YouTubeで『4分33秒』の演奏を見ている私は途中を飛ばすことも早送りすることもできる。だが演奏に臨む聴衆はそれができない。4分33秒もの間、どこかを注視し、何かに耳を澄ませる、あるいはそうしないこともできる。だが、いずれにしろ「かの有名な『4分33秒』」が演奏される場に立ち会った自分が、今どういう感覚でいるのかを意識することを強いられるのだ。そうした強請に応えることで成り立つ演奏者との共謀関係こそがこの作品の芸術的本質なのではなかろうか。

演奏(?)後の万雷の拍手こそ『4分33秒』という作品を通して演奏者と共謀関係を結ぶ聴衆の体験(聴衆の一体感を含む)が、芸術的な高揚に他ならないことを証明しているように思える。当然のことながらYouTubeを見ている私に、その芸術的高揚が訪れることはない。演奏者と聴衆が一体となったものの外側にいる傍観者でしかないのだから。

高揚を覚えるような共謀関係を、カウンターのあっち側とこっち側でも成り立たせることはできないか。4分33秒後に起こる拍手が作品の一部であったように、お客様の反応が店の雰囲気の部分であり要所でもあるような店づくりはできないか。宅配にはできないプラスアルファの高揚を感じてもらえるよう、こちらもまた模索中ながらインスタなどでカウンターのこちら側も見てもらうことを意識している。

 

その3 おまかせコース

ウーバーにできないことといえば、料理を出すタイミングを見計らうということがある。その利点を最もいかせることができるのは、「おまかせ」とか「コース」といったお客様から店側に料理を一任された状態であろう。そして今回、時短営業下の来客数が測りかねる状況で食材に無駄を出さないためにも、10月半ばからの営業再開から当店は「おまかせコース」を始めたのだ。(営業再開前に、某ブログを書く常連さんの協力を得て形にしました。感謝しております。)

「おまかせ」というのは一種の概念である。コロナによって生まれた「ソーシャルディスタンス」や「リモートワーク」などといった概念が他人との接し方や働き方に変化をもたらしたように、「おまかせコース」が食べて飲む体験を変化させることを期待している。それに、より善なるオルタナティブを追求することを強いられる世の中において、お客様から選択肢を奪うことは必ずしも悪ではないのではないか、もしかしたらお客様も望んでいることではないのだろうか、と考えたということもある。

おかげさまで多くの人にご注文いただき、手をかけて用意したものを食べてもらえるという状況に、作る側がなにより満足している。

 

以上が再開後から変えたこと、正確には「意識が変わったから変えたこと」である。

どんな意識がそうさせたのかと言えば、人との接触、遭遇、交感にはかけがえのないものがある、という平凡で月並みな、だが今まであまり意識しないでいた意識である